歴史
History
「金山という地名はどこから来たの?」「金が採掘されたってほんと?」「駅周辺にどんな寺社が
あるの?」といった素朴な疑問を、金山の歴史から探り、ご紹介します。
歴史散策マップ
History Map金山総合駅南口から徒歩3分の場所にある観聴寺には、2体の鋳鉄地蔵菩薩像(愛知県指定文化財)と月侍供養碑(市指定文化財)があります。
もともと鉄造地蔵菩薩立像は、熱田区旗屋町の断夫山古墳(だんぷさんこふん)西側にあった地蔵堂に祀られていましたが、1942年(昭和17年)に熱田神宮公園の整備により、現在地である金山町に移転されました。この2体の鉄像は土型を原型に造られたもので、うち1体の像の背面には銘文が残されており、享禄4年(1531)11月に道永と大脇新衛門という人物が発願し、上野太郎右衛門範家が鋳造を行った熱田地蔵であることが分かります。
また境内には月侍供養碑が3基あり、民間信仰の貴重な資料遺産として名古屋市の有形民俗文化財として指定されています。
観聴寺(かんちょうじ):名古屋市熱田区金山町1丁目10−8
住吉神社の創建は諸説ありますが、享保19年(1734年)に摂州住吉より勧請して東輪寺の地蔵堂に祀り、その後宝暦12年(1762年)に大阪廻船極印講の12名が運送守護のため社殿を創建したと伝わっています。
境内にある人丸社・天神社と合わせて和歌三神としての信仰も深く、熱田台地の西の縁にあり南西方向の谷の風景と伊勢湾を見渡す住吉神社からの眺望は名勝とされました。松坂屋初代社長の伊藤祐民(いとうすけたみ)は、ここに有志を集めて和歌会を催し、多くの和歌を奉納したそうです。
江戸期の住吉神社は熱田道(現在の国道19号)に門があり、そこから西へ参道が伸びるほど広い境内の神社でしたが、昭和20年の戦災にかかり、その後都市計画により境内が縮小されました。
尚、境内のどこかに小さな狛犬(写真右下)が鎮座しているので探してみて下さい。
住吉神社(すみよしじんじゃ):名古屋市熱田区新尾頭1−9−28
畑中地蔵はその昔、畑だったこの地に突然大きな石が出現し、地中の根本がだんだん大きくなるばかりで掘り起こせなかったところ、夢枕に異様な人が現れ「我を祀れば願い事を叶えてやろう」と言って消えたことから、その石を「畑中地蔵菩薩」としてお祀りしたのがはじまりと言われています。
伝え聞いた近隣の人々もおまいりしたら大変なご利益があったそうで、戦時中の空襲でも付近が焼け野原となった中で、この地蔵堂とお地蔵様の所在地は一軒の被害もなかったほどです。
毎月24日の地蔵菩薩の命日には、お経を唱え地蔵菩薩の徳をたたえています。
境内には、堀川の氾濫に窮した村人が総出で架橋と築堤工事を行った際に、その実情に痛感し自ら人柱となったと伝わる高僧を供養した「七はし供養塔」も移設されており、高僧義人の道徳をたたえ今の世に伝えています。
畑中地蔵(はたなかじぞう) / 七はし供養塔(ななはしくようとう):
名古屋市熱田区花町1-18
榊森白山社は平安時代の886年に創建されました。当時この地は古代榊の木が多く、その榊を熱田神宮へ奉納していたそうです。熱田神宮へ参拝する際も、この社でお祓いを受け身を清めてから参拝したとも伝わっています。
ご本殿祭神には白山の神として知られる菊理媛神(くくりひめのみこと)、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、大己貴神(おおなむちのかみ)を祀るほか、境内社に松尾社、天皇社、稲荷社、華能宮を祀り、「世界一の縁結び」をはじめ多彩な御利益があるとされています。
榊森白山社(さかきもり はくさんしゃ):名古屋市中区金山1丁目8番23号
「金山」の地名由来といわれる金山神社。主神は金山彦命(かなやまひこのみこと)で、鍛冶鋳造の祖神を奉祀する神社です。約1200年前、熱田神宮修理の鍛冶職であった尾崎氏の祖が屋敷内に勧請したのが始まりで、実に「尾張鍛冶の発祥地」といわれています。
毎年11月8日に行われる「ふいご祭り」には、名古屋を代表する鉄鋼関連企業をはじめ、地元町内会や企業や商店が集まって奉納を行っています。
金山神社:名古屋市熱田区金山町1丁目16−19